サッカーの歴史 -日本、世界でも大いなる盛り上がりを見せるサッカー-



サッカーを始めてみたいけど、サッカーってどういうスポーツ?
サッカーを始めたけど、ルールがよく分からない。


そんなサッカー初心者の方のために、このサイトを開設しました。
サッカーというゲームの生い立ちや歴史など、サッカーに関する情報や、
実際にプレーする時に知っておくべきルールなどを紹介しています。

なぜサッカーという名称になったのか

サッカーの母国であるイギリスでは、もともと「サッカー(soccer)」という言葉はありませんでした。1863年12月にイギリスでフットボール協会
が結成され統一ルールが設けられた際、サッカーの正式名称が「association football(アソシエーション・フットボール(協会式フットボールとい
う意味))」と決まりましたが、当時イギリスのパブリックスクールの生徒や大学の学生たちの間で言葉を短縮して使うことがはやっており、
このassociation footballも簡略化されて、assoccerとなり、これがさらに短縮されてsoccerとなりました。なお、現在このゲームをサッカーと
いっているのは、日本、韓国、中国、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどわずかです。




サッカーとは
サッカーは、世界中でもっとも人々に楽しまれ、愛されているスポーツで、世界各国から選ばれた代表32カ国が4年に1度、世界の頂点を目指して争うワールドカップは、TVの視聴者数ではオリンピックをも凌ぐ世界最大規模のスポーツイベントとなっています。 サッカーの基本的なルールは、以下の3点です。 1. ボールを手以外(主に足)で扱う。 2. ボールをゴールに入れたら1点。 3. 相手より多く得点を取った方が勝ち。 サッカーが世界中の人々に支持されているの大きな理由は、このようにサッカーが非常に分かりやすい、シンプルなルールのスポーツだからです。 それを証明するように、サッカーはルールを定めた正式な競技規則ですら17の条項しかありません。 (しかも、17の条項のうち、実際のプレーに関するのは10条項だけで、残る7条項はグランドやボールの大きさ、競技時間など、プレー外のことが定められています。)

サッカーの歴史
サッカーの歴史は長く、人類が文明を築きはじめた頃にはサッカーに近いものが行われていたと言われています。世界各地にこのサッカーの起源となるものはあるようですが、最も古いものを中国の蹴鞠(しゅうきく)とする説が近年では有力だそうです。 サッカーは基本的にボールを足で蹴って扱うスポーツですが、最初は手を使う場合もありました。しかし、手を使わないものと、手を使っても良いものであれば競技の本質がやはり異なってしまいます。そこで、手を使わないものと、手を使っても良いものが別々のスポーツとして新たに生まれました。 手を使わないスポーツがサッカー、手を使ってもよいのがラグビーです。両競技ともに別名を『フットボール』と呼んだり、グランドの大きさや競技時間、用語名などに似たようなところがあるのは、このように最初は同じ競技だった名残によるものです。 こうして生まれたサッカーは、1800年代の終わり頃には現在とほぼ変わらないルールとなって世界中に普及し、現在へと至っています。

サッカーはボール以外に特に重要な道具を必要とせず、ルールも単純なため、11人でチームを作りグランドの上でプレーすると言う形態以外にも、様々な姿に形を変え、ラテンアメリカやヨーロッパを中心に老若男女を問わず、世界中のあらゆる地域でプレーされている。 世界中の殆どの国でナショナルチームが組織されている事はその現われの一つである。 母数が多いため、純粋な統計を調べる事は難しいが、競技人口および国際的な認識が最も高いスポーツの一つであるといえる。この点に関してはFIFAは 2001年の時点で、全世界200の国と地域でプレーされており、競技人口は2億4000万人であるとアナウンスしている。 サッカーの祭典とも言うべきFIFAワールドカップはオリンピックと並ぶ世界最大級のスポーツイベントとなっている。参加国・地域数、スタジアムやテレビでの観戦者数などで、オリンピックを凌駕する。 サッカーに巻き込まれる人の数は膨大であるため、サッカーというスポーツは、その時代、地域の歴史、文化やプレーする人々の考え方等を反映する一種の鏡となり、サッカーと言う世界的な一つの共通語の上に立ってそれらの間にどの様な差異があるのかを如実に示す一つの装置になっている。 このため、これらの反映される事柄や、差異の間隙から現代のサッカーには様々な社会問題が反映される事がしばしばある。

サッカーボールの歴史 生産  現在世界で生産される手縫いのサッカーボールの70%から80%程度が、パキスタンで製造されている。 その理由は、1947年までイギリスの植民地であったこと、外部パネルの原料となる皮革、内部を膨らませる膀胱を供給する牛がたくさんいたこと、牛の屠殺に対して抵抗が無かったことが挙げられる。  サッカーの黎明期となる19世紀末まではこれらの原料をイギリスに輸送した上で、生産が行われていたが、完成品をパキスタンで作る方がコストを省けることが分かった為20世紀に入るとパキスタンでの製造が増大した。現在でも人件費のかかる手縫いのサッカーボールに関してはパキスタンでの製造が続けられている。 皮革  昔のサッカーボールは牛の天然革皮で作られていた。そのため、雨などで水分を吸収すると重くなった。1985年のメキシコ大会から人工皮革製のサッカーボールが使用されるようになり、天候による影響を受けにくくなった。 外部パネルの構造  創成期から1960年代までは、12枚ないしは18枚の細長い革で構成されているボールが一般的であった。1960年代になると、黒塗りの五角形の革12枚と白塗りの六角形の革20枚で構成された切頂二十面体のボールが登場した。  ワールドカップでは1970年のメキシコ大会から、この白と黒のボールが採用されている。これはアディダス社が大会のスポンサーとなり、ボールの提供を始めたのと一致する。この形状はアディダス以外のメーカーでも一般的に採用されるようになり、サッカーボールといえばこの形状を指すようになった。以来長期にわたり、表面のデザインは変更されつつも、五角形と六角形の組み合わせが採用され続けた。  2006年のドイツ大会でアディダス社が提供する、+チームガイストはこれまでのボールの形状と全く構造を異にしている。このボールの外部パネルはプロペラ状のパネル6枚とローター状のパネル8枚の計14枚で構成されており、より真球に近い形状にするためのデザインが施されている。 ICチップ内蔵サッカーボール ゴールやラインを超えたかどうかの審判のミスを防ぐために、ICチップ内蔵サッカーボールの使用が検討されている。2005年にペルーで開催されたFIFA-U17世界選手権大会では、アディダスが開発したICチップ内蔵サッカーボールが試験的に使用されたが、誤作動が多く、2006年FIFAワールドカップドイツ大会での採用は見送られた。


サッカーの普及

   1863年にフットボール協会ができてまもなく、イギリス以外の国でもサッカーが広く行われるようになり、最初の国際試合も1875年に
実現しました(日本にも1870年代にはサッカーが伝えられています。)。そして20世紀に入り、国際サッカー連盟(FIFA)が誕生することと
なります。当初は国際サッカー連盟はフランスを中心とする7か国のみが加盟して発足しましたが、その後急速に加盟国を増やし、
2000年3月現在で202の国と地域がFIFAに加盟しています。
   このようにサッカーが広く世界に普及することとなった背景には、もともと世界各国でサッカーに類似したスポーツが行われていたことや、
サッカーがボールと広いスペースさえあればだれにでも楽しめるスポーツであることのほか、サッカーが競技として確立した当時は産業の
急速な発達に伴って、世界中で交通網が整備された結果、国際的な交流が盛んに行われるようになっていましたが、その当時の世界では、
イギリスが最も影響力の大きな国であったことなどが考えられています。

競技の歴史
サッカーは、古代中国、ギリシャ、ローマの人々がすでにゲームをしていたという説があるほど古くから親しまれている競技です。1300〜1400年代のイギリスの王様は、暴力的なスポーツだとしてサッカーを禁止しようとしたこともあったとか。 現代のサッカーは1863年に設立されたイングランドサッカー協会とともに始まりました。 オリンピックの競技になったのは、1900年の第2回パリ大会からですが、1932年第10回ロサンゼルス大会で1度姿を消しました。1936年の第11回ベルリン大会から再びオリンピックゲームとなっています。2000年のシドニー大会では、サッカーがオリンピックゲームになって100年になったことが祝われました。 女子サッカーがオリンピックに登場したのは1996年、第26回アトランタ大会のことでした。その時の決勝戦は76,000人が観戦し、女子スポーツイベント観戦数の世界記録となりました。

日本での競技の歴史
日本にサッカーがやって来たのは、一説には19世紀、明治時代のことだといわれています。初めて組織化されたのは1921年で、創立された協会は「大日本蹴球協会」でした。 その後、1925年に(財)日本体育協会、1929年に国際サッカー連盟(FIFA)に加盟。1936年には第11回ベルリン大会に初出場を果たしました。 日本チームがオリンピックで初めてメダルを獲得したのは、1968年の第19回メキシコシティー大会で、銅メダルでした。 日本のサッカーの歴史は、(財)日本サッカー協会のホームページ「主要年表」で詳細がご覧いただけます。

◆サッカーの歴史◆

1.近代サッカー以前

民族ボールゲーム

世界各地において、古代から神事や祭事に際し、様々な競技が行われていた。 「投げる」「捕らえる」「打つ」「的を射る・通す」など手を基本とする競技ばかりでなく、 「大幅な動き」や「蹴る」など、脚や足の動作を伴うものも存在した。「民俗ボールゲーム(球技)」 はこれらとボールなどが、結びついたものをさす。

−中世ヨーロッパの球技−

中世ヨーロッパの各地では、街や村などの地域社会とのつながりの強い行事としての球技が、 街路や野原、さらに川などを使い行われていた。 これらの球技は『ストリート・フットボール』や『マス・フットボール』と称されていた。

2.近代サッカーの誕生

1863年・FA設立とルールの統一

19世紀後半になって、当時の上級階層の子弟が通う、公認私立中学校(パブリック・スクール) では、各学校ごとの実状に合わせたルールで、フットボールが行われていた。 1963年10月、ロンドンとその郊外クラブの代表者が集まり、『フットボール・アソシエイション=FA』 を設立し、12月にはルールが統一された。このルールによる競技、「アソシエイション・フットボール」 は、単に「フットボール」で世界各地で通用し、これを省略した「サッカー」という競技名を用いているのは 、現在では、アメリカや日本など一部にしかすぎない。なお、イタリアは全く関係のない、『カルチョ』 を使い続けている唯一の国である。

3.世界へ拡がるサッカー

イギリスに生まれた近代サッカーは、イギリスの留学生や、海外在住のイギリス人などのネットワーク によって世界各地へと伝藩していった。 その勢いとスピードの速さには驚くべきものがある。それらは、サッカークラブの創設・国内リーグ戦 の開始・サッカー協会の組織化などである。

4.国際サッカー連盟(FIFA)の誕生
−2004年に100歳を迎えた巨人−

世界のサッカーを統括しているのが、国際サッカー連盟(FIFA=Federation Interna-tionale de Football Association) である。サッカーが世界各国に伝わっていく過程で、国を越えた組織の必要性を感じた、フランス人ロベール・ゲラン の提唱により、1904年5月に結成された。しかし、設立時に参加したのは、オランダ・スイス・スウェーデン・スペイン ・デンマーク・フランス・ベルギーの7カ国に過ぎず、イギリス・イタリア・ドイツなどは参加しなかった。 現在、加盟する国と地域サッカー協会の総数は204に達している。 この204の協会は、各大陸ごとのサッカー連盟に所属するかたちで、FIFAに統括されている。したがって、街角のサッカー クラブでも、サッカー協会に加盟した時点で、FIFAにつながるのが、サッカーの仕組みなのである。2004年に、創設100周 年を迎える。その直前の2002年日韓大会は、巨大化し、多くの課題を抱えるFIFAにとって、大きな節目の大会でもあった。
1921 大日本蹴球協会創立
1929 国際サッカー連盟(FIFA)に加盟
1936 ベルリン五輪にて、3−2でスウェーデンに勝利
1951 第1回アジア大会 ニューデリーで開催 3位入賞
1954 第5回ワールドカップ スイス大会 極東地区予選敗退AFC(アジア・サッカー連盟)創立、日本10月に加盟
1956 メルボルン五輪参加 1回戦敗退
1958 第6回ワールドカップ スウェーデン大会 予選不参加
1960 第7回ワールドカップ チリ大会 アジア地区予選敗退
1964 東京五輪参加 ベスト8入り
1965 日本サッカーリーグ(JSL)開幕
1966 第8回ワールドカップ イングランド大会 予選不参加
1967 メキシコ五輪 東京で開催 日本首位で本大会出場権獲得
1968 メキシコ五輪参加 銅メダル獲得
1969 第9回ワールドカップ メキシコ大会 アジア地区予選敗退
1973 第10回ワールドカップ 西独大会 アジア地区予選敗退
1977 第11回ワールドカップ アルゼンチン大会 アジア地区予選敗退奥寺康彦(当時25歳、古川電工所属)がFCケルンへ。日本人プロ第一号誕生。
1979 日本女子サッカー連盟、正式に発足。
1980 第12回ワールドカップ スペイン大会 アジア地区予選敗退
1984 ロサンゼルス五輪 予選惨敗
1985 第13回ワールドカップ メキシコ大会 アジア地区予選突破韓国に破れ本大会出場ならず
1988 ソウル五輪 予選で中国に破れる。日本オリンピック委員会(JOC)に加盟
1989 第14回ワールドカップ イタリア大会 予選敗退。第10回アジアカップ(広島)開催 優勝
1993 第13回ワールドカップ アメリカ大会 アジア地区予選一次突破。最終予選『ドーハの悲劇』。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)開幕
1994 第12回アジア大会開催(広島) ベスト8入り
1996 第25回アトランタオリンピック。日本はブラジルを1−0で破るも1次予選敗退『マイアミの奇跡』。2002年ワールドカップ、日韓共催が決定
1997 第14回ワールドカップ フランス大会 アジア地区一次予選突破。最終予選 イランをVゴールでくだし、初の本戦出場を決める『ジョホールバルの歓喜』
1998 FIFAワールドカップ’98出場 岡田監督のもと日本は3戦全敗でグループリーグ敗退
1999 Jリーグ1・2部制(J1・J2)導入。第3回FIFA女子ワールドカップ出場。ワールドユース、ナイジェリア大会で小野など黄金世代で臨んだ日本代表が準優勝
2000 第12回アジアカップ優勝 シドニー五輪参加 ベスト8入り
2001 FIFAコンフェデレーションズカップ 韓国/日本大会 準優勝
2002 第15回日韓ワールドカップ開催 トルシエ監督の元 グループリーグを突破。日本はベスト16
2003 第4回FIFA女子ワールドカップ出場 予選リーグ敗退
2004 第13回アジアカップ 中国開催のアジアカップ 決勝で中国を破り優勝。アテネオリンピックに、日本代表は男女ともに出場。男子は予選リーグ敗退 女子はベスト8
2005 Jリーグワンシーズン制へ移行。日本女子サッカーリーグの愛称が「なでしこリーグ」
2006 第16回ドイツワールドカップ開催 日本は1分2敗でグループリーグ敗退。ワールドカップ後 中田英寿選手が衝撃的な現役引退を表明
そしてサッカーは続く

世界のサッカー史

1940年代 1940年といえば、伝説のクラブチーム”グランデ・トリノ(偉大なるトリノ)”。第2次世界大戦をはさんで5回もリーグ優勝を成し遂げた。1945年、第2次世界大戦が終結、翌1946年には 英国4協会がFIFAに復帰する。
1950年代 第4回W杯で、ウルグアイが開催国ブラジルに勝ち優勝、そこからハンガリーの連勝記録が始まる。マジック・マジャールことハンガリーは、1950年から1954年まで4年間、29試合負けなしの驚異的な記録を作ったのだ。1952年のヘルシンキ五輪では、5試合で29得点2失点の圧倒的な強さで金メダルを獲得。その中心選手だったプスカシュを獲得したクラブチーム、レアル・マドリーがその後栄華を極めていく。1954年にはAFC(アジアサッカー連盟)とUEFA(欧州サッカー連盟)が相次いで設立される。この年、日本がオリンピック初出場。1955年にはチャンピオンカップがはじまり、翌年にはCAF(アフリカサッカー連盟)設立。欧州選手権も始まる。1958年のW杯スェーデン大会ではブラジルが初優勝。またこの年、ミュンヘンの悲劇が起こる。
1960年代 1960年には欧州カップウィナーズ・カップ、南米クラブ選手権(リベールタドーレスカップ)、インターコンチネンタル杯(後のトヨタカップ)など相次いで大会が始まる。そして、レアル・マドリーの黄金時代に終止符を打つチームが現れた。「ポルトガルの巨人」ことベンフィカである。1964年には東京五輪が開かれ、日本は強豪アルゼンチンを破り、ベスト8まで進む。翌年には日本サッカーリーグも発足。66年にはCFC(オセアニアサッカー連盟)が設立される。68年にはNASL(北米サッカーリーグ)発足。1969年には、W杯予選の結果をめぐり、ホンジュラスとエル・サルバドルが戦争に突入するという悲しい出来事も。
1970年代 1970年代はアメリカにサッカー黄金時代が訪れる。NASL(北米サッカーリーグ)は、ペレ、クライフ、ベッケンパウアーをはじめとする世界的なスーパースターを高額な年俸で集め、人気を博していったのだ。1977年には第1回ワールドユース選手権(U-20)がチュニジアで開催され78年にはキリンカップがはじまる。
1980年代 80年、16年間の空白を経て外国人選手輸入禁止措置が解かれると、それまでドイツ、スペイン、イングランドなどに拡散していた選手たちはイタリアへと向かった。各チームは移籍市場に巨額な資金をつぎ込むようになり、ジーコ、マラドーナといった豪華な顔ぶれがピッチを飾ることになった。こうした才能の独占は、イタリア勢の3大カップ席巻を強烈に後押ししていく。85年にはヘイゼルの悲劇と呼ばれるフーリガン事件も問題に。
1990年代 1990年代のヨーロッパのキーワードは「ビッグマネー」。巨額なテレビマネーがサッカー界に大きな影響を与える時代に。チャンピオンズカップがリーグ戦へ移行していき、試合数も増加。また、ボスマン判決によりEU圏内の移籍の自由が認められ、選手の移籍は活発化、ビッククラブは大量の外国人を抱え込むことに。時代はビッククラブの時代に入り、そのあおりを受けて、90年代の3つのワールドカップには新しさが欠けた低調な大会になった。
91年、FIFA年間最優秀選手賞創設(第一回はマテウスが受賞)、92年にはアパルトヘイト撤退により南アフリカがFIFA復帰。しかし一方では、ユーゴスラビアがボスニア内戦に対する制裁でFIFAとUEFAにより国際試合禁止処分を受ける。
しかしなんといっても、90年代といえば日本が1954年のスイスから通算12度目の挑戦で初めてワールドカップに出場した歴史的な時代といえるだろう。
2000年代 2000年に入り、サッカー戦術が浸透し「グローバル化」が一層進展した。サッカースタイルは、南米とヨーロッパ、アジアの境界がなくなり、各国の実力差が拮抗する時代になった。2004年のチャンピオンズリーグでのポルトガルのチーム、ポルトの優勝、EURO2004のギリシャの優勝がそれを象徴している。
2002年、アジアではじめてのワールドカップが日韓共催で開催され、日本、韓国ともに決勝トーナメントに進出する快挙を成し遂げた。巨額なテレビマネーとヨーロッパ・チャンピオンズリーグの影響で、巨額投資が災いして破産するクラブや、汚職事件が頻発した。2006年のドイツワールドカップでは、イタリアが優勝したが、同時にセリエAのユベントスを中心とする汚職事件で大きな混乱が発生した。
日本代表も2006年ドイツワールドカップで、2敗1分という期待はずれの結果に、大きな転機を迎えている。

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